ひとが森を使うこと 水力というエネルギー

みなさんが中学生のころ、技術・家庭科を男女とも習っていましたか?

わたし(店番シミズ)が中学生のころ、

まだ女子は家庭科のみ、男子は技術のみ、でした。

いまの子どもたちは、

男女とも技術家庭科両方習いますし、

教科書もとても興味深く楽しいです。

「心材」や「辺材」、「正目」「板目」なんてテストの問題用紙で見るのは不思議な気持ちがしますが

この10年ほどでそのような言葉を知った私は

そのようなことを義務教育で習えてたら、よかったよねぇと思います。

また、

自分ちで使っている電球をともす電気はどこから来ているのか?

送電の途中でどのくらいロスがあるのか?

そのようなことを当たり前にみんなが習って大人になっていくんです。

それはもう、現在までの、ありったけの資源を使って生きてきた大人たちとまた違う感覚の世代が育ちますよね。

「副教科」と呼ばれる技術・家庭こそ「主要教科」になってしかるべき、

そのための数学や社会や理科などの学習であるべき、だとわたしは思います。

 

 

さて、水力発電を見学してきました。

いい木が育っているしもうちょっと間伐しては・・・という森や

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返るとのびのび育った広葉樹の林もあって・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのような木々の合間に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現れたのは

小水力発電のパイプ。

地域の自然から電力が生み落とされます。

ある程度高い地点でまとまった量の集水ができて

そこからの落差があって水の勢いでタービンを回して発電できるわけです。

山には森、というだけでなく

人間が生きていくうえでは、そのような山の使いかたもあると

頭においておきたいものです。

 

 

ちいさな流れもまた美しく、

暮らしの中に持ち帰れたらなぁ、

どうやって?

と欲の尽きない夢想を繰り返しながら

帰途に着きました。